創始者 鈴木翠軒   年譜

文化功労者 芸術院会員

1889年(明治22年)愛知県渥美郡伊良湖村(現在の渥美町)に生まれる。本名 春視

県立第四中学校(現在の時習館高校)に入学。小学校の代用教員を経て、21歳時に県立第一師範学校に入学、福江小学校訓導となる

1916年(大正5年) 文部省習字科検定試験(文検)に合格

1919年(大正8年) 30歳 上京し丹羽海鶴に師事 府立第五中学校に奉職

1926年(大正15年)  37歳 府立第六中学校嘱託教員となる。

1927年(昭和2年) 38歳 二松学舎にて漢学を学ぶ。安井朴堂の『荘子』に傾倒。後に大きな影響を受ける。

1932年(昭和7年) 43歳 文部省嘱託となり『国定教科書・甲種小学校書方手本』を揮毫。昭和13年に完結する。

1940年(昭和15年) 51歳 川谷尚亭碑を揮毫(豊中・萩寺)

1942年(昭和17年) 53歳 第1回個展を銀座三越で開催する。

1948年(昭和23年) 59歳 日展第5科 審査員

1950年(昭和25年) 61歳 日展参事

1951年(昭和26年) 62歳 小樽市『忍路高嶋』歌碑建立

1952年(昭和27年) 63歳 第2回個展を銀座三越で開催する。回瀾会結成。

1956年(昭和31年) 67歳 青雲会創立 雑誌『青雲』を発刊

1957年(昭和32年) 68歳 朝日新聞社 第1回 現代書道二十人展に出品。以後 昭和51年第20回展まで出品する。

1958年(昭和33年) 69歳 日展評議員 門人の会『子の日会』結成

1960年(昭和35年) 71歳 日本芸術院会員 就任

1961年(昭和36年) 72歳 日展常務理事に就任 郷里 伊良湖岬に『万葉歌碑』建立

1965年(昭和40年) 76歳 『万葉千首』完成 記念展を赤坂多聞堂サロンにて開催。全国各地で移動展。

1966年(昭和41年) 77歳 勲二等旭日中受章を受ける 

1968年(昭和43年) 79歳 文化功労者に叙せられる。

1969年  (昭和44年) 80歳 千紫会を結成

1970年  (昭和45年)    81歳 第1回 万紅展 日本橋三越本店で開催

1974年(昭和49年) 85歳 勲二等瑞宝章 迎賓館にて『万葉歌』出陳

1975年(昭和50年) 86歳 米寿記念展 東京セントラル美術館にて開催(実際には明治21年生まれで数え年88歳)

1976年(昭和51年) 87歳 9月 心不全にて死去

1978年(昭和53年)    4月 日本芸術院に『万葉千首』寄贈

               9月 高野山 『新月未離山』碑 建立