鈴木翠軒のことば

日本藝術院会員・文化功労者で千紫会の創始者 鈴木翠軒は多くの名作を残すと同時に、後に続く書道人に多くの示唆に富んだ書談や書論を残されている。ここでは書にかかわることばを書の道に進む書道人に、また、書を愛する愛好者に、翠軒が残した書の本筋にかかわる話を掲載、お伝えしたいと思います。特に、若い人達が文化遺産である書道を真に理解し愛好して品性や教養を高め、新しい未来の書道文化発展のためのきっかけになれば望外の喜びであります。

翠軒ひとりよがりの 書説

〇伊都内親王願文

 臨書して感じたことは、この書は一口に言えば生きている、生きてピチピチ動いているということです。新鮮な、溌溂とした、海から上げたばかりの魚、氷詰めや冷蔵庫に入れたような品ではない。

従って、この書を臨書するにあたって、一点一画の筆遣いに拘っていては臨書できません。このように魄力の旺盛な書は、その気魄を得なければ難しいと思います。

先づ最初、その気分や筆遣いをじっくりと見ること。

 

徒らに筆に面白味を托そうする事は良いことではありません。末節的な技巧に囚われることなく純情を出すようにすることが大切であります。ぐんぐんと書いていき、点画の間隔が少し位違うことや文字の長さが少し位長くなったことは構わない。

 

○ 風信帖

古来風信帖は空海の書としては最上位に推され、代表作と言われているが、灌頂記の方が実際は上位であろう。三通のうち、最初の一通は、さすがの空海も偉大な先輩最澄に宛てただけにかたくなったためか、空海のものとしてはやや萎縮している。仔細に点検するに、この程度のものは三十帖冊子には実に沢山ある。文中、量レ商とあるのは書き終わったとき商量の誤りに気づいたことを示したものである。誤ったのを知って他に何通も書き直したであろうとも思えるが、やはり、これに勝るものはなかったので、やむを得ずこれを送ったとも考えられる。第一通は筆は真率であっても、心は真率でないと見る。よそ行きであることを知る。そのせいであろう、心を強く打つものがない。芸術に遊ぶものは筆よりも心が第一である。中林梧竹は「書家は錬筆あるを知って、錬心あるを知らず」と戒めている。精神生活すなわち心の持ち方が書作品を作る先決要件であることを忘れてはならない。第ニ通目は異色の風があって第一通より上位にあると思う。第三通目のものは傑出している。空海は行草の名人であるが、この最後のところの草書風はそのうちで尤なるものであろう。文中「因還信」「因還人」とある所からみて、第二通と第三通はそれぞれ率意の書であると思われる。率意の書といっても、それは凡傭人の単なる率意とは異なり、達人には忙中に閑がある。いかに急遽の場合でも心にゆとりがあり、心身の統一がある。心手一如の傑作が率意の間でも生まれるゆえんである。空海の書を俯仰法でやったものであるという人もいるが私としては首肯出来がたいことである。

 

 

 

 

 

 

臨書の態度について

○ 一般に手本の見方が非常に粗末ではないかと思う。ただ、表面だけをみて、少しもその中心に喰い入っていない。要領よく見て要領よくやってのけようというような気持が多分にあるように思われる。何事に限らず、この要領よくやってのけるということは大禁物である。

 

○ 学書者はあくまでも忠実に手本をみることが何よりも大切で、決して粗漏や安易さがあってはならない。手本の真は一年や二年で見尽くせるものではない。

 

 

〇 我々は今健全な日本書道の発展を希求する心が大切である。そして平安時代初期の人々が晋唐に学んだ心を心として独自の書風を樹立したい。

○ 綿密に見ることを怠らなければ、再び習う時には気づかなかった所を発見するものである。三度臨書するならば二度目に見落としていたところに気づくであろう。臨書は綿密に見、丹念に臨書することを怠ってはならない。 

〇 古典の研究は創作の前提であり、方便である。何等の創意もなく藝術的な煩悶もなく、終生、古人の糟粕をなめるような安易な態度は古典を研究する者の態度ではない。古典を生かせ。あらゆる角度から研究せよ。そうすれば、古人の偉大な想像力を知るであろう。真に新しい近代的な美が、古典の中に潜在していることを発見するであろう。自然、弱小な自己の姿が哀れにも見える。強く鞭を打て、芸魂は自ずからたぎるであろう。

○ よく大家になると、意臨だとか形臨とかいうけれど私は大反対である。形だけあって精神のないものはないし、精神だけ塋形のないものは決してない。

○ 意と形とは、影に形の添う如く、必ず相伴うべきものである。

〇 平安朝三筆の書を見るがよい。晋唐の書を見るがよい。晋唐の名跡に範をとってはいるが、模倣に終始することなく、気魄があり、そこには伸びんとする者の敬虔にして真摯な態度がある。従って、いずれも新興の気がみなぎって、完成してそれが頽廃に赴くというような趣は少しも見られない。

 〇 三年、四年、五年と習ってくると今までこうだろうと考えていたことも、そうではなくてこう書いてあると変わってくる。臨書も年を取り、幾回もやって年を重ねてこないと中々わかるものではない。何事によらず初め一寸見たくらいでわかるものではない。

 

王羲之について

〇 平安時代の三筆も良いし、魏のものも勿論よいが、品位もあり、精彩もあり、おっとり構えていてどこからも非難の言い分のないものはやはり王羲之のものだろう。王羲之は書法の根源をなすものだ。この源を習わないと書の本質はつかめない。

 

〇 字を逸少といい、また別に王右軍ともいう。詩書を好み、書は衛夫人に学んだという。後に李斯、鐘繇、梁鵠、蔡邕の書を見ておおいに研究したので、後世書聖と仰がれるようになった。生来鵞鳥を好み、山陰の同士の鵞鳥を得んとして「黄庭経」を書き与えこれと交換したという。書道のことを換鵞というのはこの故事によるものである。

〇 王羲之の書の背景には老荘思想がその根底に流れている。書家として立つほどの考えを持っている者なら、どうしても漢籍の勉強をやらなければならない。私は老荘がよいと思う。私の書が変わったのは老荘思想を勉強したことが大いに影響している。

〇 蘭亭序は会稽山陰の蘭亭で曲水の宴を開いた時の詩集の序文である。王羲之の文稿で行書の傑作である。唐の太宗が熱愛し死後、昭陵に葬られたという。臨本や刻本が多く、後世蘭亭二百とまで言われたほどである。

〇 蘭亭序は王羲之の文稿であり、行書の傑作である。山水の佳境にあって興趣一入深かったためか神助があったかと思われる。原本は素晴らしい出来であったと思う。これは智永に伝わり、智永はさらに弟子の弁才に伝えた。

 唐の太宗皇帝はこの蘭亭序を苦心の末入手、熱愛されたが皇帝の死とともに昭陵に葬られたため今はない。定武本、張金界奴本、神竜半印本などは勝れている。  

 

〇 十七帖はぜひ習わなければならない。空海の三十帖冊子にしても違っているように見えるけれども、用筆の根本は王羲之のものだね。しかし、一通りの習い方では身につかない。よくよく習い込んで自分のものにすることが大切。

〇 十七帖をやらなければ本物の仮名も生まれてこない。空海も橘逸勢ももとはといえばみんな王羲之なのだ。

〇 喪乱帖などの王羲之の尺牘などは双鉤塡墨ではあるが王義之の真跡に近いものであるから繰り返し繰り返し習って充分い自分ものにするよう心がけることが大切。若い頃はずい分習ったものだ。条幅にしてもそのまま使えるね。

〇 喪乱帖は書簡である。書簡の初めに「喪乱」の二字があるからこの名がある。 わが皇室の御物である。王羲之の真跡から双鈎填墨したものであるから肉筆に最も近似している。従って、王羲之の真面目でもあるから日夜机上から離さない方が良い。それほどの法典である。

〇 芸術作品を作る根源であり、気品、深さ、高い情趣を得る唯一のものである。やればやるほど身になる。毛筆の極致はここにあるかと思われる。


空海について

〇 風信帖は最澄に送った書簡で40歳頃の書で3通残っている。文初に「風信」の二字があるからこの名がある。王義之の書を熱心に研究しているころの書翰(手紙)である。書翰であるから率意の書と評されているが単なる率意の書とは認めることはできない。

 

〇古来名跡とうたわれ劇跡と例えられるものはみな性情の良いものであり、古来、名人と称されるものは人格者であります。徳の高い人、学識の優れた者等、みな人格者ということが出来ましょう。

 

〇書も人をつくり、腹をつくり自己の内面を養っていくようにしないと、書が持っている内容を暖めてゆくことはできないと考えています。

 

〇 書というものは、人があっての書であるから、その人の書いた書そのものがその人の全人格でなくてはならないと思う。

 

〇 弘法大師空海の書で、人物の良く現れたものは灌頂記や風信帖であろう。

 

〇 仔細に拝見すると、その用筆に、結体に、深い用意があることが窺われる。その筆遣いは非常に勝れており、晋唐の名跡と同じであることがわかる。 

 

〇 風信帖を敷き写しをして習ってみましたが、一見扁平に見えるような文字も縦長に出来ている。そして、切れ味もよく、堂々として落ち着いている。

 

〇 三十帖冊子は空海在唐中の書であるから33歳頃の書である。真言の法文を書いたもので三十帖からなるのでこの名がある。全部が空海の書でなく、優れていて貴重だと思われるところは第二十巻以下数冊であろう。結体は上品であり、沈着で線質の妙いうべからざるものがある。

 

〇 (若い頃)比田井天来先生から、空海の三十帖冊子を拝借して習ったことがある。行書あり、草書あり、何分にも王羲之風の書で繰り返して稽古したものである。

 

〇 33歳頃の書で、帰朝する前の間際の書で早書きではあるけれども、急所急所の筆意が丁寧で行き届いているので、これを習うと王羲之の行書等を学ぶ第一階梯になるような感じがする。

 

〇 空海の書の総てを通じて用筆が倒れて いないことが見逃すことのできない大事なところであり、自然と筆力が出る。

 

〇 灌頂記

空海が京都の高雄山神護寺で灌頂受戒した人々の記録した名簿である。一時に描いたものではないようである。

〇 大先輩の最澄を灌頂したらしく、最初のところ「最澄」の名を記録する前後は特に慎重である。終りに進むに従って、気持ちもやわらぎ、筆も暢達して実に上手い。

〇 灌頂記は大きい字も良いが小さい字などは実に上手だ。筆先の技巧ではないだけに人に迫るものを持っている。

〇 その細字の線は、日本名跡中でも他に見られない美しさと味を持っているが中字の方も刮目して見るべきものである」。

〇 最初の下筆は唐より帰朝後39歳の時である。不用意の間に書かれたものであるが、まさに空海一代の最高傑作である。

〇 反古同然の料紙に書いた軽い気持ちで楽書的にメモしたものであろうから、たらいもなく他所ゆきのものでもない。他人に見せるものでないから、自然空海の人間的温かさがあふれている。

〇真率であるが意は十分尽くしてある。いわば胸襟をひらいて話をするときのような空海の誠実さがみられる。

 

 

 

 

王羲之 楷書について

○ 晋と唐の楷書の違い

唐の楷書は点画結体が固定していて堅ぐるしいが、魏晋のものはそうでもない。散りゆく秋の木の葉のようにさらさらとしていて真率でしかも情緒が深く、才華もある。写真を撮る時硬くなったり、講演の時、

原稿通り話を進めると面白くもなく、その人の真情が出ないものであるが、唐の楷書にはこのような点があるが、魏晋のものはそれがない。魏晋の楷書を習ってから唐の楷書を振り返ってみると、子供を相手にするような幼稚さともどかしさを感ずる。

唐の楷書はやり口が判り切っている。いわば機械的であり観念的である。    

 

 〇 黄庭経

 王羲之が鵞鳥と交換したと言われる黄庭経は養生訓を書いたものであるが、仙薬を飲むような高い香りがある。王羲之の楷書を習うのには黄庭経からやるのが良い。結体が決まっていない。分間布白、自然の妙を具有していて、沈着痛快であるがやりすぎとか行き過ぎという感は毫もなく、古茂静朴、全面つつましやかと若々しさにおおわれている。書格においては楽毅論の方が上位と言われているが断定を下すのには長い年月の研究が必要である。

 楽毅論は枯淡、黄庭経は高尚でうるわしさがある。黄庭経は初めのうちは習い難い。筆を持って外形だけを正しく写すだけでは駄目だ。性情を取らなければ習ったことにならない。情趣と精神とを筆に托することが出来ないと唐代の楷書と同じ結果になる。黄庭経に親しんで習っていると人間改造ができる。精神生活が高尚になる。作品も交渉にならざるを得ない。

 

 

昔習った李嶠詩(昭和7年)

〇 李嶠詩は唐の詩人李嶠の詩を書いたものです。

〇 上野で展覧会があったときに、風信帖にしようか灌頂記みたいなものをやってみようかな、伊都内親王の願文も良いかな種々迷っている中で、嵯峨天皇の李嶠詩を書いてみようと思って習い始めました。

李嶠詩を倣書(古典の書風を学び、その書風で別な字や文章を書くこと)した展覧会出品の一幅を表装して、師の丹羽海鶴先生にご覧に入れたところ、一字か二字出るか出ないうちに「やったな」と先生が言われた。

その頃は李嶠詩を臨書したものにしろ、倣書ものにしろ書いて発表したものは一人もなかった。李嶠詩風というものは見ようにも見られなかった。十年前のことです。

〇嵯峨天皇と空海は書においては切っても切れぬ御間柄であられたことは申すまでもありません。嵯峨天皇の「哭澄上人詩」の御書を見ますと空海の書に似ておられるのがよくわかります。

〇空海の灌頂記や風信帖に用筆結体ともに酷似している文字が多い。

〇李嶠詩が欧陽詢に似ているのは空海が欧法です。空海の書を全体的にみると、溌溂としている、テキパキしている。一点の濁り気がない。実に規模が雄大で筆が強い。結体は欧法のようですが、李嶠詩の根底をなすものは王羲之の行書だと思います。実に羲之の行書を研究尽くした方のかかれたものです。

〇平安朝と言わず、わが国書道史上もっとも傑出したもので、全体を通じて高い和様の香気があり、玄妙な筆遣いは到底百年習っても習いつくせない超妙のものと言うべきで右払いの波法は特に驚異に値する。点の打ちも飛躍的で実にうまい。

〇私はこれを8年やった。私の書の根底となっている。何分にもエライ筆である。私は唐筆赤毛の短鋒のすこぶる強い筆で習った。

〇空海が王羲之の書を習った証拠には『流』という字があります。さんずいがチョンと点打ってずっと長く、旁の上の点へちょっと引っ掛けているところ、王羲之の集字聖教序の中にある字と同じでしょう。

〇用筆の妙味を味わうには、李嶠詩は実によい材料であると思います。よく習い習い込むと用筆法を得られるものです。

〇李嶠詩で特に難しいところは点です。どんな点でも実に絶妙です。ゆったりと塗るような調子で打ったものではない。筆の毛がある角度をもって紙に触れる。その瞬間に言うに言われぬ味の点ができるのである。